労働安全衛生法に基づく技能講習(学科編)

技能講習の数以上に講師がいて、それぞれ面白い先生もいれば、

眠気を催す、はっきり言ってしまえば面白くない先生もいる。

そうした違いによって学科講習における理解度も当然ながら違いが出てくる訳で、

ではその違いは何によって生じるかといえば、これはズバリ

『現場を知っているか否か』

これに尽きると思う。

現場を知っている講師は、必ず現場の実情を踏まえた話をする。

実際に現場で仕事をしたことがある故、現場にどのような危険が潜んでいるか、

法令と実態がどれぐらい乖離しているのか、または追いついていないのか、

そういったことを講師という立場であるにも関わらず平気で暴露する。

だからこそ興味深く話を聞くことができるし、印象深くなる。


技能講習を受講して最も印象深かった講師は

「車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)運転技能講習」の先生だ。

かつてクレーン運転の仕事に20年近く従事されていた方で、

今でも現状を知るため現場に赴いて、様々な業種の実態の変化を見続けているという。


「今はもう現場に戻りたくない」

その先生がドヤ顔で言い放った言葉だ。


曰く「私が現場にいたときは、カラーコーンの囲いを跨いで通るヤツはいなかった。

けど今は平気で跨いで、自分からわざわざ危険な作業範囲に入ってくる。

当然だと思っていたことが通用しない。常識が通用しないんです。

下手に『おい!何してる!』なんて言ったら、パワハラで訴えられてしまう。

立入禁止にして機械を作業して、もしフラフラ入って来たヤツに機械が接触したら。

そいつを殺しちゃったら。機械を操作してたこっちが捕まりますからね。

だから私はもう、現場には戻りたくありません。怖いもん、そんな現場。」


強烈だった。

確かに私もそういう光景を目にしたことがあるし、安全よりも効率を重視するような、

現場でやっていればなんとも鬱陶しくて、楽するためにそうしたくても、

客観的に冷静になって見れば明らかに危険だとわかる行為は現場によっては

さもそれが当然のように行われていたりする。


それほどまでに技能講習を要する作業というのは常に危険と隣り合わせだということだ。

危険だからこそ技能講習という制度を作って、認められた人だけが作業できるのである。

だが、それでも労働災害は減らない。そこで先生は更におっしゃった。


「だったら技能講習を免許制にしてしまえ、と。

試験を難しくして、ちゃんと知識を習得した者だけを合格させればいいんじゃないか。

自動車運転免許みたいに何日もかけて技術を習得してからでないと運転できないように。

その通りなんだよね。けど、それをやってしまったらどうなるか。

簡単です。現場が成り立ちません。作業従事者が圧倒的に足らなくなる。

だから簡単に資格を取得できる技能講習になってるんです。現状は。」


あ、なるほどな、と。

完璧ではないけれど、とりあえずの措置としては、これが正解のようだ。

これを聞いて、技能講習が単なる「業務に必要なもの」という考えから

「危険とは何かを学べる機会」だと捉えるようになり、

それ以降に受講した技能講習は自分の中にすんなりとそれを受け入れることを容易にした。


技能講習の修了は免許制の資格と比べれば、その取得は簡単なのかもしれない。

けれども、技能講習修了によって可能となる作業は常に死と隣り合わせだ。

そう、ひとつ操作を誤れば重大な事故につながるものなのである。

それを忘れることなく仕事に従事すること、これが技能講習修了者の心得なのである。

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