20221231所感

「現実」と「リアル」のニュアンスの違いが僕の感情や普遍的な思いを掻き乱していった、そんな1年だったと暮れの夜、そう静かに思い馳せる。

当たり前の日常が瞬く間に瓦解して、圧倒的なパワーの前に為すすべはなく、謂れもないまま蹂躙され、さもなくば命をも奪い去られる。2月24日という決して忘れることのできない日、その後の悲惨な出来事をまざまざと見せつけられ、果たして無関心でいられた人というのはどういう神経をしているのか、逆に問いたいほど、ロシアのウクライナ侵攻は極めて強い衝動をもって記憶に留めることとなった。いまなお続く戦争は決してひと事ではない。大晦日の今日も朝から彼の国は我が国の方角に、EEZ外ではあったものの、ミサイルを3発も打ち込んできた。正気ではない。また彼の国も、あるいは彼の国も、我が国の領土領空領海を脅かすかのような行動を繰り返している。こうしてブログの記事を書いている今も、野心的な行動は続き、そのたびに我が国の最後の砦、自衛隊の隊員たちが命を懸けて国土防衛の任務に就いている。本当に頭の下がる思いだ。

そうした国防の要である自衛隊の能力や隊員たちの装備改善に向けた動きが岸田首相のもと、閣議決定という形で大きく進むこととなった。自衛隊発足以来の大改革だ。不思議と感嘆な思いもなかった。むしろ、安倍政権でヒステリックに反対してきたマスゴミやいわゆる一部界隈があまりにも静かすぎるのが気味悪かった。

僕は安倍晋三という政治家が大好きだった。確かな国家観を持ち、俯瞰的な外交能力を有し、流動的な国際社会を冷静に分析できる唯一無二の政治家だった。そんな彼が民主主義の根幹である選挙の期間中に凶弾に倒れ、命を落としたのだ。彼がいたからこそ、日本という国に希望を持って過ごせていたし、消極的ではあったものの与党自民党を支持していた。だがもう彼はいない。なにか心にポッカリと穴が空いた感じが今も続いている。

さて、今年は3年に一度訪れる祭りの年でもあった。新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』の公開。端的に申し上げるに本当に素晴らしい作品だ。僕は新海監督の新作を観るために生きながらえているといっても過言ではないぐらい、おおよそ3年に一度訪れる新作公開を楽しみにして生きている。名古屋において舞台挨拶があった際は無事に参加することもできたし、最前列で監督の正面でお話を聴くことができて最高の幸せであった。

大まかに一年を振り返ったが、どうにか健康に過ごすことができたし、生活が脅かされる事態もなかったし、ただ反省すべきはTwitterを眺めている時間が長すぎて宜しくないなという思いはある。Twitter眺めている時間があったらもっとアニメ観られるよね?エロゲ崩せるよね?読書たくさんできるよね?なんとかしないとな。

故にどうにも薄っぺらい一年だったような感じがあって、来年はこういう思いを繰り返したくないなとひたすら思う。

どうにもいけない、12月31日は冬コミ最終日と重なって、参加してもいないのにどうにもこうにも気になってしまい、結局今年もそわそわした気持ちの中、こうしてカタカタとキーボードを叩き、横目で紅白歌合戦を観ながら、いやいや集中しようぜという感じは本当に良くないね。

最後に、無事に一年を終えられることに感謝を。多くの人やものに支えられ生きてこられた奇跡に感謝を。ありがとうの思いを胸に今年を戸締まりする。



0コメント

  • 1000 / 1000

高橋キノエネのーと

Twitterの限られた文字数では伝えきれないこと、言いたいことを気ままに述べていく個人ブログです。