20220924所感

世界が新型コロナウイルスという人類共通の脅威を前にしても一致した解決策を見いだせず、また叡智を統べることもできず、あるいは軍事力による一方的な現状変更を試み、隣国を侵犯する安保理常任理事国に対して何もできない国際社会の、その掲げる浅はかな理想と眼の前の現実とのギャップに悶々とするばかりの、そんな2022年の夏。今年もコミケに行けない無念さと諦めを以って暑さの苦しみとともに夏という季節を終えるのだと決め込んでいた頃にこの作品を予約した。


CUBE『夏ノ終熄』(ナツノオワリ)



あらすじを読んで、いわゆる終末モノであることはすぐに理解できた。世界を論じることはせず、極めて限られたエリア内の展開に終始し、あとは主人公によるサバイバル的な生活、そこに突然現れた少女との出逢い、二人の生活。そして転結。

個人的に新しい作品に触れる際は、どういう展開になるのか詮索しないよう努めている。世界的な感染症によって、この二人にも確実にその脅威は迫りくるだろうし、だからといってそれがどう展開するのか、読み進めながら製作者の意図を追っていくほうが私が好きなのだ。完全に受け手に徹したいのである。なので発売前に公開された体験版をプレイして、続きの考察はしなかったし、それよりも早く続きが読みたいという興奮に満ちた期待しかなかった。ヒロインもミオちゃん可愛いし、音楽も優しいピアノの旋律がたまらなく心地よい。

そしてなによりCV担当の三咲里奈さんの演技をもっともっと全身で受け止めたい!という感情が強すぎて、ホント、発売日が待ち遠しかった。ただただ、静かにその日を待っていたという感じだった。


さて、発売日にはアキバ☆ソフマップさんで注文した初回特別限定パッケージ版が届きまして。特典のタペストリーを眺めたりしまして。実際にインストールしてプレイを始めたのが9月入ってから。読了まで延べ2週間ぐらい。この記事で何度も繰り返し述べることになるだろうが、三咲里奈さんの演技が本当に好きすぎて、何度も何度もセリフを聴き返したり、お気に入りボイスに登録しまくって、丁寧すぎるほどゆっくりと読み進めていたので、また読み応えのあるシナリオであったこともあり、相当時間かけてプレイした。



以下、ネタバレ含む感想を記していく。



ゲーム攻略の構成上、初めに現れるエンドルートが『死亡クレジット』ルートだ。

このゲーム界隈ではしばしば「ハッピーエンド」「トゥルーエンド」「バッドエンド」などルート毎に種別し、それら分岐となる選択肢を探ったりする訳だが、うん、どうだろう。この『死亡』ルートは語句通りのバッドに部類されるものかと問われると、私は「ハッピーエンド」だったと解釈する。

ユウジくんは高齢者世帯の多い限界集落的な山奥の地域に暮らす。近所の人々が感染症の脅威を前に離散したり他の地域へ移り去ったり、あるいは昨日まで元気に会話していた人が翌朝には死んでいたり。彼は亡くなった人を弔い、埋葬もしていたそうだが、その「死」が日常として感じられるようになってからは、それすら止め、そうして遂には独りになった。次は自分の番である。積極的に生き永らえることを諦めるには十分な理由だ。

そんな折、ミオという少女と出逢う。はじめは他人行儀な感じであったミオだが少しずつ互いを知ろうと心を許していく。ユウジくんが失いかけていた他者に対する感情を取り戻すような存在となっていく。自己の死を待つだけの目的のない日々からの解放。それがどれほどユウジくんの内面に影響したことだろうか。

気づけばユウジくんにとってミオはかけがえのない存在になっていた。世界がどうなっていくか、それは分からない。けれども、この場所で、二人で、命がある限り生き続けたい。一緒に生きていきたい。ミオからの告白により互いの気持ちを知り、結構ガツガツくるミオの勢いにも助けられ、唇を重ね、肌を重ね、激しく愛し合った二人にはこの先、幸せな未来しかない。そう思っていた矢先、ミオの身体に異常が生じるのである。

一方で、どこかの都会で暮らしていたミオはその街の廃退と閉塞感から逃げ出し、死ぬ前に海が見たいと彷徨い続け、全く方向の違う山奥へ。そこでユウジくんと邂逅した。彼女もまた、ユウジくんと同じで、未来に希望もなく、やがて訪れる「死」を待つだけの、果たしてその覚悟と勇気があったのかは定かではないが、海に到っていたら海中に没することもあったのかもしれない。そうした経緯があった上でユウジくんと出逢ったこともあり、鼻からの流血を確認した時点において一定の覚悟はあったのかもしれない。毎朝、彼女は必ず鏡の前に立って自身の顔を見つめ、自分に語りかけ、何も変化がないことを観察していたこともその一端ではないかと思われる。

ユウジくんの看病も虚しく、ミオの身体は衰えていく。またユウジくんも鼻からの流血で自分の最期が近いことを悟る。ミオの発症から6日間、そのシナリオはひたすらに苦しい。ユウジくんの行うすべてが空回りに終わるのだ。徒労に終わるのだ。もはや虚しさしかない。

ミオの最後のわがまま、「あの場所」に連れて行ってほしい。ミオ自身がその命まさに尽きようとしていることを悟っているかのような願いが非常に切ない。それに応え、ユウジくん自身もまた、そこで尽きることを覚悟したのであろう。そうでなければ彼女を背負って山には登るまい。

これまでの暮らしが瓦解し、全てを諦めようと目指した先で「生きる希望」と出逢ったミオ。

ミオと出逢い、「生きる希望」を見つけ、二人で幸せな暮らしを願ったユウジくん。

この二人は既にある種のどん底を味わっている。年齢が高いほど致死率の高いこの感染症によって、やがて自分も冒され死にいくことはもはや既定路線。そうしたなかで訪れた、短くも多幸な時間は二人にとって非常に大きな意味を成した。

最愛の人に寄り添ってもらいながら逝ったミオは幸せだったのかもしれない。

最愛の人を看取り、そして寄り添いながら逝ったユウジくんもまた、幸せだったのかもしれない。

二人とも、もっともっと生きて愛し合いたかったと思う。その思いは幾ばくか、シナリオからは類推するしか手段はない。「やがて訪れる死」を条件として理解し合っていたからこそ「あの場所」が二人にとっての最期の場所だったのだ、そう解釈することが二人を見守った読者・プレイヤーの本意とすることが救いであると感じる。

故に『死亡クレジット』ルートはバッドエンドではなく、ハッピーエンドだと私は思うのである。


『夏ノ終熄』なつのおわり。

「二人が出逢い、暮らしをともにし、愛し合い、そうして死んだ」ある季節の夏が終わっていった。このルートは表題を意訳読みした通りのストーリーであったと解する。

ミオの発症から死に至るまでの三咲里奈さんの演技は非常に涙を誘った。徐々に弱々しくなっていくさま、死ぬ間際のユウジくんへの謝罪と感謝と祈念、呼吸も苦しさに絶えながら、けれども力強い意思も感じられる言葉のひとつひとつが心に突き刺さる。

エンドロールが終わり、明転する画面に「CUBE」のロゴとミオの発声。震えながら深い息を吐いたのを覚えている。



2巡目。いわゆるトゥルーエンド。

新しい選択肢が出現する。

大まかにお風呂でパイズリするか、川辺でフェラしてもらうかの違いである。怒られるぞ。

初夜の前日だったか、ミオちゃんが自室で「ユウジなぜ来ない」と悶々するシーンが有るわけだが、彼女は相当にエッチなことに積極的で、童貞の私でも困惑するのだから、童貞のユウジくんが困惑するのは至極当然だと思うが賛成の諸君の起立を求めます。

エッチなことにガツガツ迫ってくる女の子。うん。素晴らしい。迫られたい。

シナリオ上、初めて登場するエッチシーンが「ミオのオナニー」というのも本作の特徴の一つだ。一回達しただけではモノ足りず、何度もイくのである。素晴らしい。始めはおっぱいと乳首を、我慢しきれず下着に手を差し込み、「入れて欲しい」というセリフがあるので、おそらくは膣口に指を入れてイジっている。素晴らしい。興奮の度合いに合わせ、声色を少しずつ上げ、呼吸も荒くなっていく三咲里奈さんの演技が素晴らしすぎる。僕はこういうエロゲをやってみたかった!ありがとう。

エンドロール後、ワンカットある。少しわかりにくいが、エッチシーンでの中だし外出しの違いでミオが懐妊するか否かの演出の違いもあった。

いわゆるトゥルーエンド、季節は巡り、近くの街や都市の人々との情報交換を通じて、感染症の新たな展開がシナリオで示される。今般の新型コロナウイルスや季節性インフルエンザを上回る、社会基盤すら崩壊するほどの致死率を有すると推察できる本作の感染症に打ち勝つためのきっかけを人類は手に入れたようだ。

『ただただ、生きていく。

明日もわからない、この世界で。

俺たちしかいない、この場所で。

日常を積み重ね、その中に幸せを見つけて。

俺たちは、生きていく。

懸命に、生きていく。』

終盤に登場するユウジくんのモノローグ。これが二人のこれからを明示している。


『夏ノ終熄』なつのしゅうそく。

「感染症をきっかけに出逢った二人はその絆を深め、やがて季節は巡り、再びやってきた夏、人類はそう簡単に滅んだりはしない、疫病も塞いだ世界も収束に向かっていく希望とともに二人の2回目の夏も終わろうとしている」という解釈も可能か。



駄文も長くなってきた。総論にしよう。

本作はいわゆるミドルプライス作品よりも少し安めの価格設定。相応ないしそれ以上の充実した内容であったと思う。

CG達成率100%、回想5つ回収。うみこ先生の描くミオちゃん凄く可愛かった。川辺ではしゃぐミオちゃんの笑顔が本当に可愛い。

シナリオもすべて網羅したはず。いや、かなり細かく変化していたので、取りこぼしはあるかもしれない。

どこまでも優しいピアノの旋律に乗せて、山奥の田舎を舞台とした、潜伏期間も発症条件も未知な感染症の恐怖に怯えながら、それでも幸せそうに暮らす二人の営みは、今年もどこか窮屈な日々を過ごしてきた私の心に一種の清涼感を与えてくれた。

質素な食事でも美味しそうに食べ、梅酒にほろ酔い、鹿肉に食らいつき、釣り名人になったかと思えば捌けない、けれども美味しそうに食べるミオちゃんの姿は見ているだけで幸せになれた。

毎朝、鏡に映る自分を奮い立たせ、毎晩、お風呂でその日の反省し、必死で自己を保持しようと努力するミオちゃんの健気な一面も素敵だった。

エッチなことには積極的で、我慢しきれずセルフプレジャー、悶々とした気分に耐えきれずユウジくんに夜這いをかける大胆さ、パイズリは知らなかったけどフェラチオは興味津々で、快感を求めていくミオちゃんの大胆さは嬉しかった。

ミオちゃんの性格と声質が見事に合致していて、機微な感情の変化を見事に演じられた三咲里奈さんに心から賛辞と感謝を申し上げたい。

「……」

「…………」

「………………」

これら三点リーダをすべて異なるニュアンスで演じ分けていたシーンは何度も繰り返しボイスを聴いて感嘆の声をあげるばかりだった。

語句表記のない、細かな息遣いにまでミオちゃんの魂が吹き込まれ、間合いや行間、言葉の速度など細部の細部に至るまで、本当にミオちゃんという女の子がそこにいるかのような距離感を声で表現されていたので、感謝と感動がごちゃまぜで、もう本当に素晴らしかった。

正直申し上げて、ここ最近は三咲里奈さんのお名前を伺う機会がほとんど無く、三咲里奈さんの声に飢えに飢えている状況でもあったので、今回のキャスティングは心の底から感謝している次第。そしてもっともっと三咲里奈さんがいろんな作品に出演されることを願っている。


季節は移ろいで、もうすぐ夏も終わろうとしている。

そんな日々の中で『夏ノ終熄』をプレイできたことは幸せなことだったと思う。

本作に携わったすべての人に感謝を。

動物性タンパク質の摂取の有無が死ぬか生きるかの重要な分岐となることを本作で十二分に理解したので、万が一にもサバイバル的な境遇に置かれたら、本作を思い出し、頑張って狩猟したいと思うし、たとえ世界がパンデミックにより混沌とした状況になっても、きっと必ずどこかに希望はある。たとえそうでなくても、毎朝、鏡の前に立って自分を律し、前を向いて生きようとしたミオちゃんのように生きたい。

『よぅし、今日も一日がんばろ~』



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