20210101所感

新しい年を無事に迎えられたこと、まずもって感謝を申し上げる。

年越しの瞬間というものは何度経験しても何か特別のようなものに感じられ、旧年との別れへの潔さと新年という未知への緊張感とが混ざり合って、不思議な感覚を覚える。


2020年の大晦日。年末恒例の紅白歌合戦を観て過ごせたことは幸せなことであった。旧年中にAmazon Musicで様々な音楽を聴く楽しみを覚えて以来、車の運転中や思考を伴わない作業中のBGMとして、その多くの時間を音楽とともに過ごしたことは精神的にも僅かばかりでも気楽に生きていくきっかけになれたのではないかと思うし、紅白を通じて、知らなかったアーティストさんや聞いたことのなかったサウンドを知ることに喜びを感じたし、きっと今年も様々な音楽に出会えるのではないかと思うと嬉しさがこみ上げてくるばかりである。


さて、2020年を振り返る。

言わずもがな、昨年は新型コロナウイルス感染症によって世界が振り回された一年となった。多くの国では感染拡大防止の観点から国民の行動を強制的に制限する政策が採られ、経済活動が必要最低限まで抑えられ、それでも感染拡大は止められず、12月には感染力の強い変異種の流行も見られ、いまだその猛威は抑えられていない。我が国においては緊急事態によって政府や自治体が国民に制約を課すような制度が認められていないことから、感染拡大防止の政策の多くは、国民住民また企業の自主的な行動制限によって遂行され、消費は落ち込み、経済的に困窮する人々さえ生み出してしまった。それでもなお、感染拡大は止められておらず、この多様化した社会にあって、共同体という帰属意識の濃淡、あるいは社会的束縛への忌避、当該感染症についての知見の有無、そのほか様々な思惑によって、ある種の「分断」が露見してしまったことは新しい発見でもあり、また悲しい事実でもある。

一方で私はこのコロナ禍によって何か影響があったかと問われたとき、心理的な変化や感染拡大防止に向けた個人的に可能な取り組みを伴った行動変容はあったにせよ、仕事にも別段の変化は無かったし、何か多くを失ったり、生活の根幹が揺らぐような事態も発生しなかった。強いて言えば、借金までして出向いていた年2回のコミケが中止・延期になって、東京に行く機会を失ったことぐらいであろうか。自分自身も含め、社会はいかに最低限度の生活を営むための金銭的なもの「以外」を求め、そこに浪費していたことか。その浪費こそ社会基盤を維持するための必要不可欠なもの、という論調は十分に理解するところであり、否定するつもりは一切無いが、「浪費する」という幸福がどれほど重要な地位を占めていたのか改めて気付かされたことは大いに意義深かった。

また、コロナ禍によって人と人との距離を保つことが求められる社会になったことは、私にとって特に精神面において有益であり、ようやく過ごしやすい社会になったと感じることが多かった。どちらかといえば人と関わることが苦手な私にとって、「ソーシャルディスタンス」という呪文はエヴァンゲリオンでいうところの「A.T. フィールド展開!」であり、衛生的に人との距離を取ること、心理的に干渉されるのを防ぐこと、防衛本能的に間合いを取ること、そういったものと同義とすら考えている。これまでがあまりに近すぎたのだ。この感覚は童貞特有のものから生じているのかもしれないが、少なくともレジに列んでいるときの床にマークされた待機位置が登場したときは本当に嬉しかった。残念なことに、いまだあのマークを守ることのできない、人とくっついていないと安心できない人がいるので、とてもとてもツラい。

コロナの話はこの辺で止めよう。

9月。それまで何して過ごしていたのか記憶がぶっ飛ぶぐらいの衝撃が走ったのは、アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』との出会いだ。

本作は2018年1月からテレビ放送していた京都アニメーション製作の作品で、TVシリーズの続編にして完結版となる劇場版が2度の公開延期の末、ようやく9月に公開されることとなり、それに合わせて全13話と外伝を一気に鑑賞したのである。

泣いた。とにかく泣いた。特に第10話。涙が枯れるまで泣いた。劇場版は4回観に行った。それでもまだ観たいという感情が湧いてくる。作品の製作に携わったすべての人々に改めて感謝を申し上げる次第である。


といった具合に、2020年を大雑把に振り返るとこの2つである。

他にも論じるべきものはあるだろうが、ぱっと思い出せないので、まぁそういうことだと思う。

ちなみに安倍ロスはなんだかまだ引きずっている感じがしている。政治関連のニュースもかつてよりも熱心に見ることが無くなったし、全く機が熟していなかった大阪都構想も「51:49」みたいな住民分断を生んで終了、現代民主主義の限界が露見した格好となったし、半ばマスメディアが支配する世論形成はいつまで続くのか、呆れるほどの溜め息が思わず漏れてしまった。


2021年という新しい年、これといって何かをしたいという感情はいまのところ皆無だが、健康で文化的に有意義な生活を送ることが何よりの幸せだと思うので、そのように過ごしていきたいし、このコロナ禍が一刻も早く収束するよう、私のできる範囲で感染拡大防止に努めていきたい。そして、どうか世界が平和でありますよう、特に海を挟んだ一党独裁支配の隣国におかれましては間違っても他国の主権を侵害せぬよう自制していただきたい。内心、かの国の言語を勉強せねばならないかとさえ思うぐらいの恐怖心だ。よろしくお願いしたい。

読んで頂いたあなたへも。良き一年となりますように。

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高橋キノエネのーと

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