20250806所感

 本日、広島への原爆投下から80年の日を迎えた。

 石破首相は広島での平和式典のあとに開いた会見で、戦後80年を迎えるにあたり、歴代首相が発出してきた談話を踏襲しながら「いま必要なのは、どうすれば二度と戦争を起こさないかであり、そのような仕組みについて考えてみたい」と述べ、先の戦争がなぜ起きたのかを検証し、抑止するための方向性を示したいとの考えを表明した。

 ここに一冊の書物がある。作家で現在は参議院議員である猪瀬直樹さんが1983年に著した『昭和16年夏の敗戦』というノンフィクション小説である。

振り返るまでもないことであるが、18世紀後半から19世紀にかけて起こった産業の変革、技術の革新、さらには石炭によるエネルギー革命をはじめとした産業革命以後、主要な欧米各国は国内市場だけでは飽き足らず、その経済力、そして軍事力を背景にアジアやアフリカを次々と植民地化することで勢力を拡大し、さらなる利益を得ようと帝国主義的な政策を推し進めていった。そうした欧米列強の荒波に日本も飲み込まれようとしていた幕末において、自国の行く末を憂えた志士たちが旧態依然とした体制を刷新し、諸外国からの圧倒的な国力の差異を前に、決して怯むことなく日本の矜持を示したことで日本が植民地化されることを免れたのである。すなわち明治維新という社会構造変革を断行したことで成し得た国力の増強、度重なる難しい外交交渉、さらには日清・日露戦争の勝利がもたらした日本の威信により、アジアの諸外国が次々に植民地化され、文化や言語を奪い去られていくなかであっても、日本が独立国として自存できたことは奇跡でもなく、先人たちの血と涙によってできた産物であることはよくよく理解せねばならない。

 しかしながら、日本は独立国家として維持していくために必要不可欠なエネルギーが圧倒的に不足していた。重ねて申し上げるが、さらなる近代化と軍事力強化を進める欧米に遅れを取ることは即ち、日本が独立国家として維持できなくなること、他国の属国として支配され、隷従することと同義であった。にもかかわらず、当時の主要なエネルギー源、つまりは生存するための戦略物資である石油の約8割は米国からの輸入に依存していた。しかしながら盧溝橋事件を発端とする中国大陸における武力衝突や中国国内の勢力争いなど情勢が複雑に絡まる中でおこなった北部仏印進駐、さらには日独伊三国同盟などで米国の更なる警戒心を招く。遂には石油資源獲得のためにおこなった南部仏印進駐により米国は対日石油禁輸を決断することとなり、日米開戦への起因のひとつとなってしまったのである。

 この流れの背景には、日清・日露戦争の連勝に続く、中国大陸における優勢を喧嘩するラジオや新聞の報道に乗せて高まっていた戦勝ムードに湧く国民感情を所以とするところが大きい。国内は必ずしも一枚岩ではなく、米英との開戦を支持する声もあった一方で、圧倒的な国力の差、アジア全域に拡大した戦線が長期化することへの懸念もあった。にもかかわらず、日本は真珠湾攻撃、そして敗戦の道をたどることとなる。

 ここで、ようやく冒頭の「昭和16年夏の敗戦」へと焦点を当てる。敗戦は昭和20年ではないのか、という疑問は当然ながら生まれる。だが間違いではないのである。

 すなわちこの作品は「開戦前の昭和16年夏には敗戦必至がわかっていた」にもかかわらず、理論よりも感情を優先する空気に呑まれ、戦禍拡大への道へと進んでいった当時の我が国の構造的欠陥を明らかにする作品なのである。

 昭和16年4月、内閣直属の機関として組織された「総力戦研究所」の研究生として官僚や軍人、民間から35人の若いエリートたちが招集される。その平均年齢は33歳。国内外の機密情報にアクセスすることを許された彼らは6月から8月にかけ「模擬内閣」を組織する。南部仏印へと進出し、日米開戦に至った場合の机上演習を繰り返す。同盟国の戦況見通し、自国の兵器増産見通し、食糧・燃料の自給度、例えば燃料の運搬経路に至ってはイギリスの保険会社であるロイズが算出した、潜水艦による商船撃沈率などを用いることでインドシナからの石油運搬総量と日本の船舶損失量、国内の造船増産量などを複数パターン想定し、何度も繰り返し机上演習を行い、戦争継続可能日数を具体的に算出するなど、緻密なデータに基づき、ありとあらゆる可能性をシミュレーションしたのである。

 そうした結果、導き出されたのが

「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」

という「日本必敗」の結論であった。昭和16年8月下旬、米英との開戦の約3か月前のことである。

 にもかかわらず当時の為政者たちは、若者たちが生み出した「机上の空論」と切り捨て、楽観的な発想にしがみつき、また国民の戦勝ムードに押されることで政治的な決断を回避し、そうして国家という調和組織は「きっと勝つだろう」戦争へと突き進んでいったのである。

 結果は既に知るところである。シミュレーション通り、ミッドウェー海戦以後、敗退と撤退を繰り返し、制空権を奪われ、兵站能力を失った日本軍は各所で飢餓と感染症で多くの兵士を失い、限られたエネルギー資源のなか、国民は不自由を強いられ、遂には二度に及ぶ残虐な無差別大量殺戮兵器の使用まで許す結果となった。この場に及んでも決断できない為政者たちはご聖断をもって敗戦を認めたのであった。

 そして現在。

 あの頃と何も変わっていない民族が何も気づかずこの国に暮らし続けている。

 集団の規律や調和を重んじ、過去の先例に囚われて革新を生み出せず、新しい戦略環境に順応できない国民性は相変わらず存在し続けている。個々人にそうしたことに長けた人材がいたとしても、目先の結果ばかりを重宝するがあまり、そうした者を長期的な視点で育もうとせず、 むしろ降り落としていく社会構造はいまだいたるところで健在している。特に戦後の歴代内閣、とりわけ平成以降の内閣総理大臣は第二次安倍政権を除けば1年未満から3年以内程度で交代しているのが常態化している。

 政治だけではない。社会のいたるところでそうした空気がはびこっている。目先の利益にばかり囚われ、自己保身を優先する社会構造に身に覚えのある者が多いことであろう。

 戦後80年、このままではきっと歴史はまた繰り返す。

 きっとこうしたことを石破首相はこの夏、何らかの形で談話として発出するものだと思われる。なにせ国会において、自身が予算委員会などで質問者として立った時に、先に挙げた「昭和16年夏の敗戦」を 何度も取り上げて安全保障政策について論じてきた人である。

「なぜ日本は大東亜戦争に至ったのか」

「米英との開戦を回避することはできなかったのか」

「戦争に突き進んでいった歴史から何を学ぶのか」

おそらくそうした事柄を事実と突き合わせながら、特に若い世代に訴えようとしているのではないかと想像している。

 先の参院選の結果を受け、何かと批判の矢面に立たされている総理大臣ではあるが、外交防衛・安全保障政策に関してはその理想とするものは誰よりも負けてはいないほどの強い信念を持った人物だと思っている。今日、広島の平和式典での挨拶でも、自分の言葉で語っている印象を強く受けた。

 平和でありたいと唱えていればそうした状態が続くわけでもない。平和でありたいと願っているにもかかわらず、海を挟んだ大陸の国家は、今直ちに発射できるミサイルを常に日本に照準を合わせて配備している。我が国が古くから認知し、諸外国がその領有を認めている島の領海に無断で侵入し続けている国がいる。接続水域を含めるとその航行は今日で連続260日となる。力による現状変更を試みようとする行為には毅然とした対応が求められることは言うまでもない。

 戦争とは何か。どのようなメカニズムでその状態は生み出されるのか。どうすれば平穏は維持されるのか。それはひとえに、過去の戦争から学ぶほかないのである。人類が辿ってきた歴史と誠実に向き合い、客観的な資料に基づき、俯瞰的視野に立って、総合的な知見を広げ、考え続けることでしか達成することは叶うまい。

 そうして、私たちもまた、歴史の一部になっていくのである。一人ひとりの思考が、判断が、この社会を、この国のありかたを決定していくのである。思考を止めてはならない。学ぶことを諦めてはならない。

 被爆から80年を経た今日、私なりに先の戦争に対する思いをまとめてみた。

 「昭和16年夏の敗戦」は今月NHKで特集ドラマとして放送される。開戦前に敗戦を予想した「総力戦研究所」を中心に描かれるそうだ。未読の方はぜひこのドラマを見てほしいと思う。

 先の大戦で戦陣に散り、戦禍に斃れたすべての御霊に対し、不戦の誓いとともに、心から哀悼の誠を捧げる。



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