選挙権を得て以来、すべての国政選挙、首長選挙、地方議員選挙に参加、投票してきた私には、耳にしたくないと思いつつ、それに真っ向から異議を唱えることができない歯がゆさを感じる言葉がある。
「選挙に行ったって、どうせ何も変わらない」
我が国の選挙がシルバー選挙と揶揄され始めてから久しい。65歳以上の高齢者は今や総人口の約3割。高齢者層の投票率は6割以上に対し、若年層の投票率は3割程度。この数字を挙げただけでも、若い世代からの「どうせ何も変わらない」という暗たんとした思いが漏れ伝わってくるようである。
だが、マスコミ報道をはじめ、可能な限りフィルターバブルから脱したSNS上から感じ取るものに触れる限り、どうやら今回の参議院議員選挙、なにか今までと異なるものを感じているのは私だけではないはずである。
日々の生活が豊かであるか、苦しさの中にあるか、それは人それぞれの事情があり、その度合いも感覚も、言葉にする表現ですら多様に存在する。けれども、人は完全に一人で生活することは我が国の構造的には不可能な道理であり、必ず誰かとどこかで少なからず接していなければ、まるで生きていくこと成り行かない仕組みの中で生活を営んでいる。だからこそ、ある程度の並列化された感情というものを心や肌感覚で認識しているはずであって、それは「どこか生きづらい感じがするよね」という、ごくありふれた感情の吐露に終始するものではないかと考える。
すなわちそれは、現状に対する不満、将来に対する不安、幸福の追求を拒む何かが厳然と存在し、それを無意識にでも、意識下にでも感じているからこそ言語化できない複雑な感情が、すっきりと晴れ渡ることのない、だらしなく広がった不穏当な感情が、絶えず個人を、社会全体を覆っているのである。
それを穿ってくれる「何か」をずっとずっと探していた。その好機に恵まれる機会をずっとずっと待ち望んでいた。薄く降り積もるだけの、息を吹き付けただけで簡単に吹き飛んで、まだ舞い散るだけの儚いものだった粒子たちが、いよいよ電子を帯びて回り出し、作用しあってくっつき合い、やがて分子となって実体を成していくような、必然的ともいえる現象が発生する瞬間に、もしかしたら、もうすぐ立ち会うことができるのではないか。
そもそも、前回の自民党総裁選で、党員や地方議員票から多くの支持を集めていた候補者が、国会議員による決選投票で落選したことが今回の選挙の最終的な起因点となるものだと考えている。かといって、あの時、高市早苗候補が総裁に、そして首相に選出されていれば、安倍首相のときと同様に、もしかしたら、それ以上の苛烈さをもって再びマスゴミたちが我が国の誇りを根底から奪い去ろうと躍起になっていたかもしれない。だからこそ、今回の選挙において「日本人ファースト」などと唱える、行き過ぎたナショナリズムと科学的知見や歴史の裏付けを一切無視するような政党を生み出してしまった要因にも直結する。
さらには、ここになってようやく「氷河期世代への対応」を各政党がこぞって訴え始めた。30年遅い。遅すぎである。政治も、社会も、彼らに「ごくありふれた生活」すら与えてこなかった。だからこそすっかり取り返しのつかない状態となった「少子高齢社会」となったことは今さら口にしたって遅い。とんでもなくエポックメーキングな政策でも行わない限り、これよりの現役世代は、緩やかに、みんなで仲良く苦しみ続け、最後には一気にどん底へと叩きつけられる将来が待っている。耳心地の良いことばかり言っている極端な政党、耳心地の良いことばかりを言うのが政治ではないと諭す石破総裁。どちらも「ダメだ」ということは、まさに肌感覚で理解するところである。
テレフォン人生相談で加藤諦三先生が番組の冒頭で述べる格言がある。
『変えられる事は、変える努力をしましょう。
変えられない事は、そのまま受け入れましょう。
起きてしまった事を嘆いているよりも、
これから出来る事をみんなで一緒に考えましょう。 』
私はこの言葉が大好きだ。
過ぎ去ったことはどうしようもない。けれども、これから先のことは、今から始めれば、今から考えていけば、必ずどうにかなる。希望が溢れてくるお言葉である。
既存の組織や勢力に頼ることもなく、常に自身の言葉を用いて政策を語り尽くすことに努力を惜しまない政治家がようやく出現してきたように感じている。
理想ばかりを並べ、現実可能性ある具体的な議論を語らない政治家にはもううんざりである。
さきほど期日前投票が過去最多を記録したとの報道にも触れた。いよいよ有権者の意識は高まっているように感じる。
東京在住の旧友からは、新橋駅前広場における「マイク納め」演説会場の様子が写真を添えて送られてきた。実に多くの聴衆がその声を真剣に聴き入っている。
「国民は選挙期間中だけ主権者となる」
ひどく揶揄する言葉であるが、選挙に積極的に参加するということ、候補者が訴えていることを良く聞き、良く考え、その真意を理解し、ときに演説に赴き、肌感覚を通じて投票に臨むことこそが選挙の意義であって、結局のところ「選挙に行ったって、どうせ何も変わらない」 への回答は「選挙に行かないから何も変わらない」という論考で決着を見るのである。
今回の選挙でも各メディアや機関が「投票マッチング」というものを利用して、とりわけ無党派層に対して選挙に参加するきっかけを生み出そうと企画を展開している。私も複数のマッチングサイトで、中には60以上の質問項目を挙げ、それぞれの政策について自身の考えに近い政党や候補者を抽出してくれるサービスを利用してみた。最終的には「どの政策を重要視していますか」の選択項目によって、どのサービスもほぼ同じ結果となるのは分かっていたし、だからといって私はサービスが示したマッチする政党や候補者を支持、ないし投票することは考えていないので、「やっぱりこうなるよね」という感想しかなかった。ただ、政治に全くの関心がない有権者にとって、このサービスは有効的であろうし、よいきっかけとなる一助にもなっていると思う。ちなみに私が重要視する政策は「外交防衛」「憲法改正」「経済政策」「基本的人権の尊重」であり、より保守的な政党とのマッチングを期待されたが、サービスが提示するものよりも、もっと俯瞰的な視点で国政を見るのが私の昔からのクセなので、それに従うことはないし、自身の一票には並々ならぬ責任を感じながら投票するので、選挙後の動きも睨みながら極めて総合的に考え、判断するものである。
とまぁ、いつものように選挙戦最終日は、結果が出る前に言いたいこと言ってやろう!という気持ちをたっぷり込めて、好き勝手に論じるのが通常運転であるので、こうしてだらだらととりとめのない駄文を打ち続けてみたわけだが、自分の考えに整理がつくので、こうして文章化することの大切さは訴えていきたいものである。
日本に生まれ育った以上、社会との関係を断つことは不可能である。だからこそ、その一員として、この国の、この社会の行く末を真剣に考える必要がある。命がけでこの国の未来を私たちの代わりに考えてくれる人たちを選ばなければならない。自分のため、家族のため、地域の人たちのため、そして日本という私たちを優しく包んでいる祖国のために真剣に考え、代表者を選ばなければならない。それができる唯一の行為が選挙における投票なのである。
期日前投票に行かれたみなさん、お疲れ様。
明日、投票所に行かれるみなさん、暑いなか大変ですが、ちゃんと行きましょう。
そして、明日の20時、選挙に参加した者だけが味わえる楽しさ・喜びを静かに待ちましょう。
どうか日本がよりよい未来を切り開く素敵な選挙となりますように。
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