ツイッターのタイムラインを読む暇があっても、座席予約した映画のあらすじすら読む余裕すらなかった、その刹那の感情によって縦横無尽に捻くれることのできる「時間」という概念に自らを翻弄しながら、結局は一冊の本すら読むことなく流れ去った2024年という形式の箱の中から、そういえば買ったまま読まずにいた本があったことを思い出し、その梱包に手だけを突っ込んでみせて、かろうじて指に引っかかったその書籍をしっかりと両手に持って、手汗でよれてしまわないようにカバーをそっと外し、ペラペラっと巻末のページ数を確認しながら、ふわっと香る紙とインクのにおいに興奮を覚えるなか、新しい年の明け、読み始めたるは、池澤春菜 著『わたしは孤独な星のように』である。2024年5月早川書房刊行。
7つのSF短編作品で構成された本書。もしかしたら、やがて訪れるのかもしれない未来の世界で展開される物語のように感じられ、決してひと事だと思えない情景に畏怖と憧憬すらも覚えた。現代社会に横たわる、人間関係のもつれが生み出す諸問題をSFの創作世界へと見事に落とし込んだあり様は実に美しくもあり、残酷であった。けれども、その物語の行く末のすべてを読者に委ねた物語の締め方には、深い余韻と明るい希望を残してくれるようで、いづれも幸せな気持ちになったことこの上ない。
女性を主人公とする物語には、まるで著者の実体験が表層化したような、生々しい描写と心を鋭く突き刺してくる、痛みを伴う表現が散見され、私の心を何度も何度も激しく揺さぶってきた。
「糸は赤い、糸は白い」
第二次性徴期ほどの年齢と推定される少女を中心に描かれた本作には、女性特有の身体の変化や激しい心の変動などが丁寧に描かれている。簡単に壊れてしまいそうな、その儚くて弱々しい、なのに強い自我を前面に出しながら、そして悩みながらも着実に未来へと歩みを続けていく少女の後姿を、最後はそっと静かに見送ることしか読者にはできない。しかして、そこには眩しさと温かさがあって、心地よさのなかで物語が結ばれていくことは彼女にとっても、読者にとっても救いであったように思う。そうあってほしい。
「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」
ユーモアの度合いが強すぎて爆笑しながら読み進めた本作の秀逸たるや。女性の体重・体型にまつわる話を宇宙規模にまで拡大して面白おかしく仕上げた物語。主人公の独白で進行していく描き方も際立って面白い。特異点によって生じた作用・副作用にもストーリー展開が施されているあたり、読んでいて嬉しくなってしまった。後日談の物語もきちんと用意されていたことには驚いた。また爆笑しながら読める喜びを感じながらの読書体験であった。
AIについて考察させられる作品もあったり、この先の地球環境の変容と、そこに生きねばならない人類の希望的な寛容性と柔軟性、その一方で惑星を離れることになった、遠い人類の行く末の果てについて思考を試される物語もあった。
7つの物語、そのどれもがとても身近な存在として考えるべき事柄であって、それが当たり前すぎてついつい忘れてしまっていることばかりで、それを反省させる力を、この書物は読者に与えてくれる。読み終わったいまでも、この作品の物語は、どこかできっと今ある自分と繋がっているのではないか、いつか到来する現実ではないのか。そんなことを少々の恐怖と、大きな期待をもって妄想したりもした。
私の中では、池澤春菜さんは声優さんであるという認識であった。その延長線上でこの著作に出会った。そこから現在では日本SF作家クラブ会長の職に就いていることを知った。学生時代、さまざまな苦労があったこともインタビュー記事を読んで初めて知った。アニメの世界でキラキラとした華やかな姿しか見ていなかった知らなかっただけに、作家としての側面にこうして触れられたことは、私の中では大きな出来事であった。池澤さんが積み上げてきたさまざまな経験と長い年月の果てに、本作がこの世に誕生したことに思いを馳せるとき、本著を読むことができた喜びは一層大きくなる。感謝と歓喜をここに記したい。
2025年、世界は窮屈になるのかもしれないし、大きく膨らむのかもしれない。それは現実として住む場所や心の安寧を確保できるフィールドによって明らかな差異が生じることは確かなことである。それでも、きっと誰かと繋がっているだろうし、きっと誰かと繋がりたいと欲するものなのだと思う。一人で生きていけるけど、独りでは生きてはいけない。夜空を見上げた時に、街の明かりで星々が見えないことの寂しさと、誰もいない深い山間で眩しいばかりの星々の光を浴びることの寂しさがまったく異なるように、誰かを愛おしいと思う感情や、誰かと一緒にいたいと願う希望は、きっと誰もが持っていて、その道しるべとして本著が一冊、手元に持っていたいと私は強く思う。
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