20230826所感

 「四半世紀」という言葉を伴う記憶ですぐさま思い浮かべるのは、声優で歌手の椎名へきるさんが当時パーソナリティを務めていたラジオ番組内で、ご自身が迎えた年齢をその言葉を用いて言い表していたことである。ひと世紀100年を4つに分けた歳月、すなわち25年だ。

 本日8月26日。私が「自分はオタクだな、たぶんきっとこの先もこういう愛好を持ったまま生きていくのだろうな、周囲からの偏見の目に屈することのない強い意思(意志)を持って好きを貫いていくんだろうな」ということを自覚した瞬間から四半世紀が経過した。

 幼い頃からテレビ番組を見るのが好きで、ドラゴンボールもセーラームーンもどちらも見ていたし、幽☆遊☆白書も魔法騎士レイアースも見ていたし、いわゆる男の子向け女の子向けという区別なくアニメを見るのが好きだった少年は、多感なある時期、いよいよ声優さんへの興味を開化させ、「カードキャプターさくら」という作品を通じ、今で言うところの「推し」の声にめぐり逢い、遂にはその声優さんがパーソナリティとして深夜に生放送しているラジオ番組に辿り着く。

 1998年8月26日午前1時10分。声優の丹下桜さんと氷上恭子さんがパーソナリティを務める東京FM系ラジオ「角川電波マガジン 氷上恭子と丹下桜のドラゴン探偵局」、その「記念すべき46回目」(番組内トークまま)の生放送を視聴したのである。まだ義務教育を受けている少年が平日の深夜にラジオの生放送を聴くがためだけに起きているという苦難は、その瞬間、オタクへの自覚を鮮明にしてしまった。

 その後はもうあっという間に丹下桜さんの声や人物像に沼っていった。今のようなSNSは存在せず、ラジオ局のツリー型掲示板はあってもネット環境は発展途上にあって、情報源は専ら声優グランプリやボイスアニメージュで、雑誌とラジオを通じて丹下桜さんの活動を追いかけた。

 ところが翌1999年、桜さんは当時所属していた事務所を退所。2000年公開の劇場版CCさくら出演を以って声優活動を休止する。

 そう、実は自分がオタクだと自覚して2年も経たずに「推し」は姿を消したのである。

 その喪失に、当時の自分がどうやって堪えたのか、今となっては記憶が無く、当時つけていた日記帳を探すのも億劫というものだ。しかして、それでもオタク気質は辞められなかった。その2年のあいだ、桜さんとの出逢いが契機となって、これまで見えていなかった世界が見えるようになった。ラジオの世界ではクラシックやジャズをはじめ、これまで耳に馴染みのなかった音楽をたくさん聴いた。小森まなみさんという素敵なトークジョッキーに出逢えた。オーディオドラマという、音声だけで物語を紡ぐ世界を知った。アニメの世界はアナログからデジタルへの移行期、面白い作品が次々と製作された。

 ここまでオタクという単語を多用することにうんざりしているところであるが、何かにのめり込んで周囲への配慮を欠落させ、あるいは恥を忘れて公然と迷惑をかける、といったことは…無かったと思うけど、これでもちゃんとした学校生活は送っていたと自負している。当時の学校の成績評価が記載された通知表はまだ相対評価であった時代だが、上位カーストに迎合されずとも、忌み嫌われるようなポジションでは無かったと思う。体育だけは成績悪かったなぁ。成績上位者たちが進学のための内申点を稼ぐために就任するような役職も経験した。そういった点で、オタクを醸し出していたのはある意味では正解だったのかもしれない。

 きっと常にどこかで自分の支えとなる何かを探していたのだ、そう振り返るのが自然というものだ。それが単なる消費活動だと分かっていても、その経験を自身に透過させれば、きっと何かしらを得られるはずだ。それが衝動となって、きっと何かを昇華するはずだ。気づけば、希望と妄想、慢心と怠惰の蓄積がいたずらに歳月を消耗していった。

 25年間を振り返って、頭の天辺まで沼ったような事象・対象というのは、実はそれほど多くない。即ち、消費活動に埋没すること無く、いつまでも記憶が新鮮なままの「推し」は、常に自分とともにあり、自分を構成する一部となっている。そのすべてを論じてもよいが、既にこのブログに書いていることかもしれないし、その作品であったり、人物について存じ上げない人がそれを読んでも、明瞭に説明できる自信はあまり無い。

 それでも、やっぱりね、1998年に出会った2つの作品、「カードキャプターさくら」と「カウボーイ・ビバップ」は当時から現在に至るまで、作品から学んだ人生観・死生観に非常に影響を受けている。


 さくらちゃんが唱える、無敵の言葉がある。

「絶対、だいじょうぶだよ。」

 誰にでも優しく、愛と勇気に満ちたさくらちゃんが困難にぶち当たったとき、自分自身を奮い立たせるように発する言葉である。もはや説明は要らない。丹下桜さんが演じる木之本桜ちゃんの声でこの言葉を耳にしたら、全身から愛と勇気と希望がみなぎってくる。生きるってこういうことなのですよ、と。


カウボーイ・ビバップ第26話。占い師ブルがジェットに告げる台詞。

「死を恐れるな。死はいつもそばにいる。

 恐れを見せた途端、それは光よりも速く飛びかかってくるだろう。

 恐れなければ、それはただ優しく見守っているだけだ。」

 私の死生観はこの言葉によってほぼ確定したと言っても過言ではないぐらい影響を受けている。生きるということは常に「いつか死ぬ」ことと同義だ。その上限を知っているからこそ、程よい無理は可能であり、いざというときにこそ、その生命を賭けて堂々と上限を超える生き方をすべし。生きることへの困難は死によって解放されるが、それが同じ意味を持つならば、もっともっと足掻いて生きてやってもいいじゃないか、と。


 2011年、アニメイト名古屋店さんの先着購入参加型イベントにて、その数年前に声優業復帰された丹下桜さんご本人に謁見できる機会を得た。試しにググったらその日のイベントをレポートをまとめて下さっているファンの方がいて、私の名前はイニシャル表示になっていたが、当日会場で書いた私のメッセージが桜さんに読まれ、たった数秒であったが、言葉を交わす場面が言語化されていた。ファンになって実に13年が経過しようとしていた夏のことだった。

 アニメから始まったオタク人生。大きいトピックを挙げると、エヴァ、CCさくら、丹下桜さん、小森まなみさん、カウボーイ・ビバップ、星界の紋章、十二国記、新海誠監督、南里侑香さん、牧野由依さん、涼宮ハルヒの憂鬱、アニメショップに行くことを覚え始めてからのエロゲ、珈琲貴族先生、ピロ水先生、風音様、311、ネット環境が飛躍的に発展したのちの同人音声作品、秋野かえでさん、シン・ゴジラ、遥そらさん1stライブとコミケ初参加、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、COVID-19、その着せ替え人形(ビスクドール)は恋をする、そして今ホットな夏目ミカコさん。思い浮かぶだけでも結構たくさん書き起こせるね、スゴい。

 最近では「推し」という言葉を用いて端的にファンであること、好きでいることを表しがち、現に私もそういった表記をしてしまっているが、大衆迎合する意図はなく、素直に好きだ!と述べれば良いところを、妙に恥ずかしがっているだけで、ものすごく好きです!という隠語のようなものだと理解して頂きたい。

 とまぁ、四半世紀を振り返ってきましたよ、という話である。ここまでいうと私の実年齢がかなり絞られてきたな、という印象だが、特に隠しているつもりは無いのだけれども、中身は17歳の女子校生かもしれないので悪しからず。歴史と文学が好きな人なら私のアカウントの英数字列みて気付くのかもしれないね。

 まとまりが無くなってきたので、この辺りで。今回はかなりの駄文だね。流れがよろしくない。ちょいと気持ちが不安定だったからなのかな。どうにかこうにか元気を取り戻したい。

 たくさんの大好きに心から感謝を。そして、これからも私の中でずっと大好きな存在でありますように。

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